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どうも、ヨメちゃんです!久しぶりの更新になってしまいました・・・!
お引っ越し後初めての更新(*´ω`*)♡こちらでもよろしくお願いいたしますー!

私が前向きな考えになった経緯


さてさて、今回は読者の方によく聞かれることをまとめてみました。
ご覧の通り幼少期はなかなかの貧乏暮らしをしておりました。公園でお米を研いでた件は話すとビックリされますが、実話なんです(笑)水道が止められることって、よっぽどなんですね。市が管轄しているので。ちなみに市営住宅の家賃も何年も滞納していたみたいでした。

母子家庭なのでもちろん手当て等は貰っていましたし、父からは養育費+私たち子どもの為にならとクレジットカードも持たせていたようです(後に使い過ぎてストップされたけど)
それでも貧乏だったのは、母が仕事をしない人だからでした。それに加え家事をしなかった(と、いうよりは出来ない人なんだと思う)家はゴミ屋敷みたいにモノで溢れて、台所なんて使えたもんじゃなかった。なので手料理なんてほぼ食べたことないし、毎日スーパーの惣菜やレトルトばかり。
料理を教えてもらうことなんてなかったので、今ぐらいに作れるようになるのは大変でした( ;^ω^)まぁ、そのお陰でレトルトとか○○の素とかの味が嫌いになったので極力自分で作るようになったのはいいことですけどね!

私が中2のときに父に引き取られ、そこから父との二人暮らしが始まったんですが、高校2年生の頃になぜか母が押し掛けてきて居候に。
そこで父が再婚していたことが発覚し、子どももいることが分かり(要は私に腹違いの妹がいるとww)母が暴走し始めました。もうこれ現在進行中なんですけどね・・・。さすがに自殺未遂とかはなくなりましたが。

そんな感じで反抗期になる暇もなく怒涛に学生時代が過ぎ、高校を卒業すると同時に就職。学生時代もバイトをしていたので、貯めたお金で自動車学校代も車も自分で払いました。工場とキャバを掛け持ち、車も入手して親元を離れることを決意。その頃に丁度付き合っていた彼氏に頼んで同棲を開始しました(この彼氏が別れた元カレです)
一先ず家を出れたワケですが、それでも母に依存されていて、当時なぜか私が母の住む家の家賃を払っていました(私が家を出るのと同時に、父は実家に帰り、母は一人暮らしすることに)

そのことも原因で彼氏との関係が悪くなった頃にダンナちゃんと出会いました。ダンナちゃんには全て話しました。家のこと、母のこと、私の生い立ち。理解しようとしなかった元カレとは違い、全てを知った上で私を支えてくれました。
『俺はお前が大事やから、何とかしてやりたい。母親の借金のことも詳しく話しを聞いてみて、手を考えよう』と、直接母に会って話しを聞いてくれたりもしました。普通ならここまでしてくれないですよね(;∀;)
正直、まだ母のことは解決していません。それでも私という一人の人間を見てくれて、一緒になることを選択してくれた。それだけで、私にとっては嬉しいことですし、ありがたいことなんです。

すごーく長くなってしまいましたが、こんな経緯があったことで私はポジティブに考えられるようになれた、というお話です!GIDということ、子どもが出来ないこと、身体の健康面での不安・・・確かにたくさん問題はありますが、今の幸せに比べたら小さなことなんです。ダンナちゃんと一緒になることを選択していなかったら今の幸せがなかったかと思うと、それらの問題は受け入れることができます。
むしろ、他の人が体験できないことをずっと体験できている訳ですから、ウジウジするよりそれをネタにして生きた方が絶対楽しい!というスタンスで生きてます(笑)
なので、”どうしたら前向きになれるか”という質問には回答出来ないのが本音です。私が前向きに考えれるようになったのは荒治療みたいなものですから。でも、日々の小さなことに幸せを感じることができれば少しは前向きに考えられるようになるのかなー?とは思います(*・ω・*)

久しぶりの更新がガッツリ重い内容ですみません・・・(笑)最後まで読んでくださりありがとうございます!
人から見て暗いであろう過去のこともネタにして笑えるので私は今日も元気です!では!(´゚∀゚`)